佐藤 2004.09.28 ロシアで起きたことが明治維新以来の近代化の過程で日本にも起きました。日本でロシア文学がよく受け入れられた背景にはこういう歴史的な類似性があるからでしょう。 アッシジ 04.10.13 アッシジの聖フランチェスコの生涯というのは、結構大審問官への静かな批判のような気がしたりして、ドストエフスキーのことを思い出しました KID 04.10.17 ラスコーリニコフの月刊言論に掲載された論文ですが、あれはまさに私の言っていた事です。ラスコーリニコフの年齢を考えても、私とそう離れていないので若者の考える思想の一つなのでしょうが(私の年齢は19です)、どうにも運命的なものを感じて止まないのです。 ざえもん   04年10月23日01時30分 ここの過去ログは、本当に宝の宝庫ですね。 でも過去のログに加わるわけにもいかず、蒸し返す事もできないし、ジレンマに陥ったりしてます。ありがとうございました。 Seigo 04年10月26日00時02分 そのモデルとなった殺人事件では、27歳の店員による老婆殺害の際にもう一人の老婆(老婆の友人)が老婆宅を訪れて犯行に巻き込まれ彼女もその場で殺害されています。被害者である二人の老婆の 職業は、老婆が料理人、友人の老婆は洗濯女だったそうです。( 詳しくは、井桁貞義『ドストエフスキー』(センチュリーブックス・人と思想。1989年清水書院初版。)のp112〜p114を参考のこと。) ka 04年10月26日22時48分 イギリス人作家がドストエフスキーを悪く言っていることが多い、というのをお聞きして面白いと思いました。ドストエフスキー作品では概して、英国人は好意的に扱われているような気がするのですが、やや皮肉な感じですね。逆に、ドイツ人はあれだけ罵倒されているというのに、みんなしてドスト氏が大好きだったりします…。 Seigo 04年10月30日22時45分 新潮社版全集発刊記念パンフ『ドストエフスキー読本』(1979年発行)の中の五木寛之氏との「対談 なぜドストエフスキーか」における、  五木 これは僕の自己批判なんですけど、ドストエフスキー     は、やはり掛値(かけね)なしに凄(すご)いと思う。相     当口惜しいけども、かなわんなと思います。凄い才能     ですよね。  原  同感。全く恐ろしい才能ですね。 ストレンジ★カメレオン 04年11月05日17時31分 一心に西方浄土を目指した五位入道の最期と、悲しみも喜びも知らぬまま生きた六の宮姫君の最期との対比に、芥川なりの信仰観が吐露されているようにも思います。 今回の投稿中の『往生絵巻』と『六の宮の姫君』の解釈は、北村薫の『六の宮の姫君』(創元推理文庫) 清水 04年11月07日15時30分 福音書の中のイエスと比較して、従来私にはおとなしいというか覇気が少ないのではと感じられてきました。文学的な言葉でいえば生命感が乏しいというか…。福音書のイエスであればもっと強い人であって、大審問官にたいして論争的というかもっと自己主張が激しかったと考えられます。 小説を書きあぐねている人 04年11月26日00時10分 トルストイやショーロホフの名は出てくるにせよ、ドストエフスキーの名を挙げたひとは一人もいませんでした。痺れを切らしてこちらから「ドストエフスキーは?」と訊ねると、露西亜撫子の一人は、顔を顰めて、それこそ悪魔払いでもするかのように、首を左右に振ったのでした。