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[読書中]★橋本治『二十世紀(上)』(ちくま文庫、2004.10)2013.01.28-
2019.04.14日(2018.10.24水)(つづき15、2013.01.28-)橋本治著2004.10。
(P165)
(1918年)
1789年フランス革命は、「王を処刑する恐ろしい伝染病」だった。
ナポレオンの最大の敵は、一族の娘マリー・アントワネットをブルボン家に送っていた神聖ローマ帝国の皇帝、ハプスブルグ家だった。
しかし、ナポレオンという「ヨーロッパ最強の皇帝」の出現におびえたハプスブルグ一族は1806年、皇帝の地位を放棄した。
しかし、したたかなのは生き延びる王家。
皇帝の娘、マリー・ルイズ(マリー・アントワネットの兄の孫)を妃としてナポレオンに送る政略結婚。
ナポレオンは失脚する。
ヨーロッパ大陸の主導権は再びハプスブルグ家に移る。