〔ブログ〕
http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/silent.html
何ともかんともないデタラメな家だった。旅館を買い取って自宅にした馬鹿でかい家に二人の妾とそのみ
よりの者が寄り集まって暮らしており、妾のうちの威勢のいい方が自分を「おかあさん」と呼ばせて家を取り仕切っていた。父は事業やら政治やらで忙しく、ほとんど家に居着かず、家事の一切をこの「おかあさん」に任せきりにしていた。熊谷守一もこの女を「おかあさん」と呼ばなければならなかった。
金はいくらでもあったから、守一とたくさんの異母兄弟には、それぞれに乳母がつき、学齢に達すると家庭教師がついた
現地に渡って無欲なアイヌ人を見ると、すっかり好きになってしまうのである。彼はアイヌ人について書いている。
無欲なアイヌ人に共感した守一自身、次のような人間だった。
結局、私みたいなものは、食べ物さえあれば、何もしないでしょう。犬もそうだ。食べ物さえあれば、寝そべっているだけで何もしない。あれは、じつにいい。
まわりからやいのやいのといわれ、なぜ仕事をしないんだ、わからないヤツだ、などと盛んにせめたてられましたが、できなかったのです。
彼は気に入らぬことにぶつかるたびに、一歩退いて現実と関わるまいとしたのである。成人してからも、彼は戦う前に退くことを考え、一歩下がってアウトサイダーの視座に戻った。
私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません。
日記の内容も、いかにも熊谷守一らしく面白かった。
大正12年9月1日は、関東大震災の日である。この日、熊谷守一は、自宅を焼け出されて野宿しなければならなかった。見渡す限り廃墟と化した震災地に立って、熊谷守一はその日の日記にこう書くのだ。
九月一日
大地震
トンボガ ユーックリ 飛ンデイル
彼はうまい絵を否定して、印象派の対極にあるような絵を描いている