宮本常一

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「忘れられた日本人」宮本常一 岩波文庫

友人に強く奨められて読む。
さすが
私の好きな岩波文庫第7位 
にランクされるだけのことはある。
圧倒的な「書物」としての存在感。

土佐の山中の乞食小屋に住む盲目の元ばくろうが語った
土佐源氏」の女性とのマグワイの数々もすごいが、
(映画にしたらおもしろいだろうな)
わたしがとても強くひきつけられたのは
冒頭「対馬にて」の「寄り合い」の方法だ。

今のわれわれの国や組織の物事の決め方とは劇的に違っていて
それは感動的といってもいいほどだった。
もちろん小さな共同体だから可能な方法だとも言えるのだろうが、
一見雑談のようなその話し合いは、大勢の人間が何日も時間をかけて行う。
協議は区長と地域組とのあいだをなんども往復し、
時々に議題はうつりゆき、また元に戻り、
多くの人がそれに関わる過去の体験を持ちより、
やがてゆっくりとひとつの結論に収斂してゆく。

強引な結論は決定後の齟齬を生む。
小さな共同体においてそれは致命的なことだ。
(国家や地球規模で言っても実はそれは致命的なはずだ。
ただその齟齬をないものとして次に進んでゆくだけなのだ。)
対馬の人々が自然にとってきた賢明な方法から
「場のはたらき」ということを考え、
「時が熟す」ということばを思った。
また、その「時の熟す」のにじっと寄り添って、
そこに隠された哲学とも呼ぶべきものを
ていねいに拾い上げた著者の精神の深さを感じた。

素朴な食材だが滋味に富む食事を味わっていただいたような読後感である。