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[読書中]★吉村昭『天狗争乱』(新潮文庫、H09.07)2014.02.05-
2019.02.05火(2018.10.11木)(つづき16、2014.02.05-)吉村昭著H09.07。
(P033)
水戸藩の攘夷決行の機運。、関東諸藩とともに高まる。
藤田小四郎の計画、武田耕雲斎はまだ早いとして反対している。
天狗党の名を騙って無頼の徒が、金品を巻き上げている。
文久三年一月十三日、多賀郡平潟(北茨城市)、回船問屋、菊池半兵衛に二百両、出せと迫り、断ると斬る、という。これら偽天狗党。この騒ぎ、幕府は水戸藩に取り締まり強化を命ずる。
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[読書中]★矢野久美子『ハンナ・アーレント』(中公新書、2014.03)2014.07.19-
2019.02.05火(2018.10.09火)(つづき15、2014.07.19-)矢野久美子著2014.03。
(P051)
ドイツで大学教授たちがナチへ同調するのを見たアレンとは、二度とこうした「グロテスク」な世界とかかわるまい、とアカデミズムの世界で生きる気はもうとうなかった。
若者に手に職を与え、パレスティナへと合法的に送り出すことがアレントの仕事になった(1934)。
子どもたちは体重を増やす必要があった。
1938、「パレスティナの為のユダヤ機関」でオーストリアとチェコからの避難民を救護する仕事に就く。
ナチスドイツは1938.03オーストリアを、9月にはチェコのズデーデンを併合した。
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[読書中]★隆慶一郎『時代小説の愉しみ』(講談社文庫、1994.02)2013.11.17-
2019.01.31木(2019.01.28月)(つづき19、2013.11.17-)隆慶一郎著1994.02。
(P116)
日本は、織田信長ほど壮大な思想的スケールとエネルギーを持った天才を一人といえども生んでいない(隆の持論)。
豊臣秀吉は正しく信長の思想を忠実に推し進めただけであり、徳川家康は信長を反面教師として、しかも彼のおかげで天下人たりえた男。
この信長がこの悪名を獲得したのは30代終わりから40代初めにかけてである。
元亀二年叡山焼き討ちから越前、長島一向一揆をみなごろしにした頃までである。
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[読書中]★冲方丁『天地明察(下)』(角川文庫、2012.05)2015.11.03-
2019.01.31木(2018.10.04木)(つづき6、2015.11.03-)冲中丁著2012.05。
(P021)
春海とこと。
婚礼。
「ことは幸せ者でございます」
将軍、家綱。
碁に詳しくなった家綱。
勝負碁。
春海は招かれた。
40歳、水戸光圀。
若いころはとんでもない荒くれものだったらしい。
話は数年前の北極出地のことが大半を占めていた。
関孝和には三度目の勝負を挑みたくなった。
そなた、その渾天儀とやらを独力で成し遂げる気か、と光圀。
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[読書中]★色川大吉『歴史の方法』(岩波同時代ライブラリー、1992.05)2014.01.30-
2019.01.31木(2018.10.03水)(つづき9、2014.01.30-)色川大吉著1992.05。
(P042)
ブルクハルト『イタリア文芸復興期の文化』→パノラマのよう。
トルストイ『戦争と平和』→主役中心の叙述。
ボルコンスキー家、ロストフ家、それにベズーホフ伯爵家という家柄。
菊池昌典「すべての歴史叙述は芸術を目指さなければならない」→正しい。
奈良本辰也のいうように、「フィクションを使って小説を書く」必要はない。
膨大な事実の中から、(1)人間の叡智を示す事柄、(2)人間の発展の方向を示すような重要な事柄を選び出しその歴史的事実を積み上げ、過去の時代像を描く学問。
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[読書中]★辻原登『東京大学で文学を学ぶ』(集英社文庫、2013.03)2013.10.23-
2019.01.31木(2018.10.01月)(つづき15、2013.10.23-)辻原登著2013.03。
(P091)
第二講義。
2004.10.11、トップ記事。
「遣唐使の墓誌発見」
西安、西北大学博物館が最近入手。
名「井真成」国号日本。
12行171文字。
生まれつき優秀、国名で派遣、勉学し宮廷で役職に就く。
急病で開元22年(734)36歳で死亡。
「魂は日本へ帰るだろう」
仲麻呂、吉備真備、僧玄昉の回で557人が派遣(717)。
玄宗皇帝はその死を悼み「尚衣奉御」を贈り国費により葬った。
文字とは何であり、書くとはどういうことか知らなかった世界、日本。
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[読書中]★清水潔『桶川ストーカー殺人事件―遺言』(新潮文庫2004.05)2018.09.27-
2019.01.31木(2018.09.27木)(初読1、2018.09.27-)清水潔著(2004.05)。
(P297)
弟子屈着。遺体は母と姉が引き取りに来た。
俯瞰できる場を求め雪の山に入る。
そこへ母と姉「ハイエナ!和人は、お前たちマスコミに殺されたんだ!」
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[読書中]★船戸与一『神話の果て(下)』(講談社文庫、1988.05)2014.02.06-
2019.01.30水(2018.09.26水)(つづき13、2014.02.06-)船戸与一著1988.05。
(P048)
ウェップナー、ロバを止めた。
背中の火傷がシャツに擦れる。
チャカラコ渓谷に入った。
拳銃は使えない。
西ドイツのヘッケラー&コック社製HK93ライフルが入っている。
消音性に優れている。
志度正平を殺す。
乾し肉を頬張る。
火傷のせいで体力を消耗しきっている。
休息がいる。
一方、ポル・ソンファン。
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[読書中]★井上靖『しろばんば』(新潮文庫、1965.01)2013.12.22-
2019.01.29火(2018.09.25火)(つづき12、2013.12.22-)井上靖著1965.01。
(P045)
洪作は狩野川支流、長野川のへい淵へ泳ぎに行こうと思う。
きっと誰か部落の子がいる。
飛び込む。
石の上で甲羅干しをする。
「おーい、あまっちょを追っ払え」
日の暮れるまで子供たちはへい淵で泳いだ。
ライスカレー、おぬい婆さんのつくるカレー。
おさきのばかあまが。
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[読書中]★司馬遼太郎『朝鮮と古代日本文化』(中公文庫、S57.11)2014.11.15-
2019.01.29火(2018.09.20木)(つづき11、214.11.15-)(司馬遼太郎、上田正昭、金達寿編1982.12著)。
(P029)
◎国というもの。
王権、王朝にしろ概念を概念を明確にしていく作業も必要である。
不幸にしてフランス革命をスタートにして、18C末以来、国家が重くなった。
フランス革命は人民を解放するよりも、国家を重くしたところがある。
お国自慢=領民。
虫送りという行事、村境に害虫を送っていく、こういう意識。
国家や民族を超えた地域と地域の交流が大事。
へたをすると虫送りの現代版になりかねない。
「僕は、日本地域とか朝鮮地域とか言っている」
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[読書中]★吉村昭『私の引出し』(文春文庫、1996.05)2014.06.17-
2018.12.22土(2018.09.19水)(つづき14、2014.06.17-)吉村昭著1996.05。
(P166)
S22,20才、両親をなくし兄たちの家に身を寄せる。
結婚し、行商に近い旅したりする。
長男。
このかたくなな生活、60年代半ば。
◎困った記憶。
母の夢。
ハツカネズミ。
兄の戦死の日のことだった。
苦痛に満ちた母の病床生活が続く。
◎私は日暮里に生まれた。
学校に行きたいのです。
怒鳴られると思っていた父は、「思うとおりにしろ」という。
うれしかった私。
遺体をリヤカーに乗せ家まで運んだ。
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読書中]★『司馬遼太郎 全講演4』(朝日文庫、2003.12)2014.06.15-
2018.12.22土(2018.09.18火)(つづき16、2014.06.15-)司馬遼太郎著2003.12。
(P299)
遣唐使時代に日本が感じた文明の基準は、「礼」ということ。
「礼」をもって中国唐の皇帝に接すれば、相手も受け入れてくれる。
19C日本が感じた文明は、法と科学と軍事でした。
江藤新平が受け入れたほう、これが文明の基準だと思った。
江藤は箕作にフランスに派遣するよりも、フランス人を日本へ呼んだ。
弁護士26歳、ジョルジュ・ブスケ、およびボワソナード。
お雇い外国人としてやってきた。
奈良仏教はソ連や中国における共産党のようなものでした。
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[読書中]★司馬遼太郎『全講演 3』(朝日文庫、2003.11)2012.12.25-
2018.12.21金(2018.09.13木)(つづき21、2012.12.25-)司馬遼太郎著2003.11。
(P241)
江戸期、大名は農地を所有しない。
農地は農民が所有。
大名は租税をとる権利と行政をする義務があった。
その家来の武士は俸給は安く中程度の農民、商人より貧しい。
貧しくても自律的で潔く私心がない。
尊敬された。
7-8%が武士。
大乗仏教経典は、釈迦とは何の関係もない。
後世の創作であることを歴史的、または比較哲学的に論証した富永仲基(1715-46)『出定後語(しゅつじょうこうご)』、見事な完成度。
山片蟠桃―財政家、天文学者。
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[読書中]★司馬遼太郎『街道をゆく 26 嵯峨散歩』(朝日文庫、1990.06)2014.12.06-
2018.12.21金(2018.09.12水)(つづき13、2014.12.06-)司馬遼太郎著1990.06。
(P028)
樒(しきみ)。
しきみの里=水尾。
「しきみ」といえば空海とも無縁ではない。
805、灌頂を受けた空海。
灌頂というのは、師が弟子に仏の位を相続させるということ。
儀式はインドの帝王の即位式に似る。
大勢の僧が参集し、コーラスのような梵唄(ぼんばい)を唄い、壇には百〇の供物がささげられ香煙(こうえん)が堂に満ちている。あおういう雰囲気の中、式は進行する。
その前に「投花」の儀式がある。
そのときに投げられるのがシキミ。
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[読書中]★夏目漱石『硝子戸の中』(新潮文庫、S27.07)2015.01.14-
2018.12.21金(2018.09.11木)(つづき4、2015.01.14)夏目漱石著S27.07。
(P038)
講演報酬の受取。私(漱石)も強情であった。
床屋の旦那。
「高田は、私のいとこなんだから」
そのころ従兄の家には、私の二番目の兄がごろごろしていた。
大の放蕩者で、よく家の懸物や刀剣を盗み出してはそれを二束三文で売り飛ばす、という悪い癖があった。
前の家は芸者屋。
トランプなどする。
芝の山内(さんない)の勧工場でその咲松(さきまつ)という家では御作とかよんでいた芸者に出会った。
「ありや、私の姪でさあ」と床屋は言う。
私は驚いた。
「浦塩で23のときなくなりました」
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[読書中]★トルストイ『戦争と平和(四)』(新潮文庫、S47.03)2015.10.29-
2018.11.06火(2018.09.06木)(つづき7、2015.10.29-)トルストイ著S47.03。
(解説=工藤精一郎、つづき)
(P527)
トルストイは『アンナ・カレーニナ』執筆中、三人の子供と二人のおばをなくし、妻は病床に伏すという不幸の中。人間の生活を支配する悪の残忍な力を感じ、人生の意義とは?真理とは?について苦悩していた。
芸術・・・?哲学・・・?科学・・・?トルストイに救いは民衆からきた。
民衆は理性とは無関係な、純朴な信仰によって生活しているのを見た。
3念教会に通い、すべての儀式を守り、恭順なる信者になろうとしたが、他宗教を憎悪し、死刑と戦争を認める教会とは妥協できなかった。トルストイは1879年、正教会とはきっぱりと縁を切り、宗教書分析を始めた。