渡辺淳『パリ 1920年代 シュルレアリスムからアール・デコまで』2005.08.31-
2005.09.01    バクストの衣裳
         リムスキー・コルサコフ『シェヘラザード』
         ストラヴィンスキー火の鳥
         ラヴェル作曲『ダフニスとクロエ』
         ドビッシー作曲『牧神の午後への前奏曲』
         1913 第5シーズン
         ストラヴィンスキー『春の祭典』
         ニジンスキーの振り付け
      P018 ディアギレフ
         キュビスムのデモンストレーション
         『パラード』1917
         ディアギレフ 貴族
         メセナであること 自ら自負
         パトロンのミシア、シャネル
         NRF
      P020 1917 『テイネシアスの乳房』
         ピカソ 展覧会
         1917.05.18 『パラード』の公演
         コクトーの台本、
         サティの音楽
         一種の現実的バレエ
         ピカソの緞帳
         シャトレ座会場
         アポリネールのパンフレットの一文
         「シュルレアリスムの出し物」だ
         『パラード』と新精神(エスプリ・ヌーボー)
         コンセルヴァトワールで(ルネ・モベール)
         (モンマルトルの小劇場)
         音 身振り 叫び 色 騒音 音楽 舞踏 軽業 誌 絵画 行動 装置
         マックスジャンプ 詩人
         エスプリ・ヌヴォーといえば
         スイス生まれ
         画家、建築家、デザイナー・・・ル・コルビジュ
         1917からパリ定住
         戦後1919 『エスプリ・ヌヴォー』創刊
         造形言語の純粋化運動
         ピュリスム
         1917 ロシア、ロマノフ王朝倒す
         アメリカ参戦
         1929 スターリントロツキー追放 までは、・・・
         ロシア アヴァンギャルド
         マヤコフスキー(1930自殺)
         エイゼンシュタイン(1924 戦艦ポチョムキン
         ダダイズム
         1916 スイス チューリッヒ
         ルーマニアからのトリスタン・ツァラ(アナーキスト
         平塚雷鳥 青踏
         第1章 1920台文化の共通解放と自由、大衆
         アヴァンギャルド 映画
         現実的なものを超える
         (レアリスム シュル)
         50年 日本人 滝口修造
      P082 ジャック・コポー
      P092 ピトエフ夫妻(ロシア)
         『作者を探す6人の登場人物』
         アントナン・アルトーと演劇
      P109 彫刻家 ロダン
         ムーラン・ルージュ
         ミスタングット レコード
         日本でエッフェル塔と同じく有名
         イヴ・モンタン 職業転々
      P112 ジョセフィン・ベーカー(黒人)
         チャールストンのリズム
         生きたアフリカの彫刻
         アール・デコの雰囲気に合う
         アルゼンチンタンゴ、パリ入り
         メグレ刑事物シリーズ
         ジョルジュ・シムノン
         性豪ぶり
         黒人でリッチ1号
         第5章 コクトー モデニスムの顔
         コクトーの自画像 1924
         アポリネール 類似性
         マルチタレント
         同性愛者
         『白書』(さまざまな勃起した男性器の姿態のデッサン)
         怪物変身小説
         傷心からの阿片多用
         シャネル、金だし阿片解毒治療
         舞台
         ジャズ等米系音楽
         ラディゲの死
         オリエント急行
         コメディー・フランセーズ
2005.09.02    ヴァランティーヌ
         ジャン・ユゴーとの結婚
         ヴィクトル・ユゴーの曾孫
         いっそう過激に
         コクトーの作品にもノーサイン
         ジャンとも別かれる
         第6章 モンパルナス、パリのアメリカ人 エコール・ド・パリ
         1. エコールドパリ
         フランス以外 1920台
         モンマントルからモンパルナス
         セーヌ川右岸
         モリディアーニ(イタリア)
         シャガール(ロシア人)
         キスリング
         藤田嗣治
         ピカソ(スペイン)
         モンドリアン(オランダ)
         モーリス・ユトリロ(フランス)
         アメディオ・モリディアーニ
         ピカソ等と洗濯船に出入り
         ロートレック
         セザンヌにも影響受ける
         『裸婦』(1916)
         八角形のラ・リューシュ
         ヘミングウェイ『移動祝祭日』
         「ドームで。パスキンとともに』
      P147 キスリング『女道化師』1927
      P149 ピカソの写真 モンパルナス
         1961 ヘミングウェイ 鬱で自殺
         マクル・シャガール
         藤田のこと
         モンパルナス パリに直行 1913
         淡い色彩
         デリケートな線 女、猫
         キキはひととき藤田の愛人
      P150 ホアン・グリス
         ピカソ ルーマニア出身
         Ⅲ モンパルナス
         カフェ
      P152 カルチェ・ラタン
      P153 ロダン作『バルザック像』
      P155 ル・セレクト(1920台)(写真)
         ヘミングウェイらロースト・ジェネレーションの作家、ジャーナリスト
      P158 新規開店のジョッキークラブ
      P159 シャガールとその妻 アトリエにて 1920台
      P160 ゴーギャン
      P161 キキの書いた藤田
         トロツキー
      P162 ヴェールをかぶったキキ
         マン・レイ撮影 1922
      P164 Ⅲ パリのアメリカ人
      P165 ジェームズ・ジョイス
         (アイルランド出身)
         ヘンリー・ミラー
         パトロン2人 女 ガートルード・スタインとビーチ
         大使館文化部代わり
         オデオン座
         リュクサンブール公園
         シェイクスピア・アンド・カンパニー
         ジョイス『ユリシーズ』英語
         エズラ・パウンド
         T・S・エリオットの発見
         ヘミングウェイ
         ヘンリー・ミラー
         クリシーに住む
         ジョージ・オーウェルのこと
         『パリ・ロンドンのどん底生活』1934
         ジョイスのこと
         バーナード・ショー
         ベケット
         『フィネガンス・ウェイク』
         ユングとのかかわり
      P178 ジッドのように、広いようで狭く進歩的のようで保守的なエスプリのありよう
         がしのべよう
      P181 アール・ヌボーからアール・デコ
         1900 パリ万博
         ベル・エポック
         アール・デコラチーフ(装飾美術)
         現代装飾美術工芸美術国際博覧会
         ル・コルビジュを見落としてはならない
         スイス生まれ
         1917 パリ 定住
         キュビスム→純化 ピュリスム
         機能主義の建築
         1919 バウハウス
         ドイツ ワイマール
         ヴァルター・グーピウス(1920)
         クレー、カンディンスキーが教鞭
         権藤要吉(宮内庁のかつての建築技師)
         ココ・シャネル
         (ガブリエル本名)
         バルサン愛人 パトロン
         ミシアとシャネル
         ポール・ポワレ
         釣鐘型の帽子
         ピューリタンズム、禁酒法避け 米→パリ
      P207 竹久夢二 五月藤1925
         横光利一新感覚派
         岡田嘉子
         梅村容子
         佐伯祐三の死
         読了
         1920 廃刊