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★鶴見俊輔『戦時期日本の精神歴史 1931年-1945年』(岩波現代文庫)2005.06.05-
2005.06.13 樽井藤吉「大東合併論」
1910 日韓併合
石川啄木の短い詩 朝鮮に同情
1886-1912
田山花袋 1871-1930
蒲団 短編小説
自然主義文学運動
木佐木勝(中央公論 編集者)
朝鮮人を追いかけて殴りつけたと体力自慢の田山
1923 関東大震災
6000人 死亡 朝鮮人
千田是也(千駄ヶ谷のコリア・・・朝鮮人と間違われあわやで
知り合いに日本人だと助けられた経験・・・生き方変わった)
政治と芸術
徳川の終り
日朝関係途絶える
P125 明治以降朝鮮人 見下す
1921-1931 400千人 渡日
P141 姜徳相『関東大震災』(中公新書1975)
戦後 朝鮮人 登場 小説に
松本清張、司馬遼太郎、開高健、井上靖、大江健三郎、小田実
小松左京、井上光晴
P127 田中英光(1913-1949)『酔いどれ船』
1939 労働力 朝鮮人 1500千人 死者60千人
大東亜文学者会議の模様を記載した小説
P132 柳宗悦、朝鮮に配慮
石川啄木とも
1924 朝鮮民族美術館
P133 内藤湖南(歴史家)
バーナード・リーチ(英の若い陶芸家)
異議申し立て
終戦時2000千人の朝鮮人
エドワード・W・ワーグナー
『日本における朝鮮少数民族 1904-1950』(1951)
降伏以前と同じ流儀で朝鮮人を扱う日本役人
P135 祖国分断 帰りたい朝鮮人
現在も600千人の朝鮮人
差別、偏見残る
P137 中勘助、長編詩
千家元麿
金達寿
『朴達の裁判』
P138 高史明『生きることの意味』1975
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P143 非スターリン化をめざして
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1917.11 ボルシェビキ革命
1919 国際共産党設立
1920 日本の共産主義と接触
1922 日本共産党誕生
山川均
福本和夫1893-1983
分離結合理論
与えられた1927テーゼ
労農による天皇制打倒
1932テーゼで強化
1935までに壊滅状態
P147 埴谷雄高1910-1997
二重生活 裂け目
希望にすがる
1945末 「近代文学」6人
荒正人、(小田切)佐々木基一、平野謙、本多秋五
埴谷雄高、山室静
『死霊』
1934リンチ事件
1939『洞穴』
『不合理ゆえにわれ信ず』
日共・ロシア国家への妥協なき批判
立花隆『日本共産党の研究』(講談社)
P151 アクトンの格言
あいつは敵だ 敵は倒せ
1953 スターリン死亡 フルシチョフ演説
1960 岸
仏教 ジャイナ教
吉本隆明とともに脚光
虚無思想
西田幾多郎
山川均・・・薬局、写真屋、酪農、代書屋、広告屋、養鶏、園芸
大河内一男(1904-1984)・・・技術的学者
生産力理論。。。安全な宿り場所
P158 河合栄治郎
P159 ロシア残留者
一人の哲学者の死
徳田要請(600千人ロシア抑留者の帰国に、共産主義受入を強要)
「共産主義に改宗しないかぎり、本国に送り返さないでくれ」
33歳通訳 菅季治 自殺 東京教育大学、京都大学 哲学
P163 マルクス主義共感の作家たち
高杉一郎『極光のかげに』(岩波文庫1991.1977.1950)
長谷川四郎『シベリヤ物語』『鶴』
ソビエト・ロシアの生活の実態、戦前の日本の左翼作家が描けなかった
内村剛介『生き急ぐ』(三省堂新書1967)
石原○郎 詩人 シベリア帰り
ロシア語通訳で捕虜残留、ロシア語でスパイの疑い
判決は無期懲役、理由不明、
裁判長の紙袋、(身が入らず閉廷後、いそいそと夕方の市場へ
女房に頼まれた買い物?)
P168 伊藤登志夫『白きアンガラ河』
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P173
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黄春明 『さよなら 再見』
消したい戦争の記憶
1931.09.18 柳条溝事件
河本守末中尉、裏に石原莞爾中佐
中国廃帝かつぐ
1932満州国 かいらい
国際的評判の悪さ
国連脱退
傀儡国家、独伊にヒント、
満州事変
上海事変
日支事変
1941大東亜戦争・・・分断の戦争・・・一連の戦争
家永三郎『太平洋戦争』
日本が中国に敗れた戦争
P178 森島守人 奉天総領事外交官
『陰謀、暗殺、軍刀-』(岩波新書1950)
板垣征四郎
統帥権が全てで決定した事項だ
花沢少佐、剣抜き、統帥権を無視するのかと脅す
花谷、板垣、石原 裏方
東京の陸軍参謀総長、天皇・・・既成事実としてみとめろ
石原先見の明
1936青年将校止める役
1937中国との戦争やめさせる役
はじまりにいた設計者抜きに続行
軍部の調整上手さばく政治
2005.06.14 P180 プロシャ陸軍模倣
リデルハート『第2次世界大戦』(1970)
日独同盟でしかありえない日本の勝利
ポーランド、フランスが対独敗戦後、独が英と徹底抗戦すれば勝てた
しかし、ロシアの影に怯えるドイツ
海陸両方対決を避ける
ロシアに打ち勝ちたい
ロシア流の共産主義に対する憎悪
隊ロ戦、あまりに長い兵站線
日本海軍は英国を模範
独伊との同盟は望まず
米内光政
日本海軍は当初、英米との戦争を想定せず
陸軍、海軍に勝ち、同盟
1941.09.06 御前会議 宣戦布告を決定
P185 激しい軍事訓練で消耗する石油備蓄
1941.12.08勝利の見込みなく、開戦
1942.06.05 ミッドウェー敗戦
1943.02.07 ガダルカナル撤退 転戦ということば
1943.05.29 アッツ島、玉砕
1945.06.23 沖縄失う
P187 国体護持思想
哲学的含蓄
「国体は残る」
海軍、国際的視野もっていた
大西瀧治郎 海軍中将
1944.10.20 神風特攻隊設置
P189 小田実(1932-)
1965『難死の思想』特攻隊描く
P190 渡辺清(1925-1981)
海軍
わだつみ会事務局長
『戦艦武蔵の最後』
吉田満(1923-1979)
1971
大和
特攻出発 言論統制とれ、自由に論議
臼淵大尉『なんのためかといえば、この出撃、敵になんらの影響を与え ることはない、無意味なものであるということを実証するため』
日銀監事在職中死亡1979.09
1945.06.23 沖縄死者 一般100千人、軍人90千人
ビルマ敗北
フィリピン敗北
8/6 広島
8/9 ソ連参戦
8/9 長崎
8/15 降伏
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P197 「戦時下の日常生活」
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配給制度の差、日英
英、開戦時より終戦時の方が、健康状態がよい
日本、結核死亡者
1930まで 年間140千人(これでも多いが・・・)
1942 160千人
1943 170千人
1944 発表中止
農業国、知り合い、近所、親戚でまかなう
経済に敏感な人間 第二の闇取引の実態
二宮尊徳、1787-1856
相互扶助 組織
P205 隣組の制度 1938-1947
P204 東京市役所 区政課長 谷川昇の発案
尾崎秀実 家族親戚 路頭
「日本の村」的扱い排除
魔女狩り
マッカーシー旋風・・・似る
九津見房子1890-1980
書面転向内面非転向貫く
三田村四郎妻として生きる
1904 横浜事件 出版社
大河内夫妻
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P220 原爆の犠牲者として
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P228 ロベール・ギラン
『日本人と戦争』(1979)
人種差別が日本人に対してあった
P231 第五福竜丸事件
ビキニ環礁水爆実験
安井郁
杉並区民公民館
館長
東京大学国際法教授
全国規模の反対署名運動
1955.01 ウィーン世界平和会議
P239 ★加藤周一ほか『死生観(上)(下)』(岩波新書1977)
★大江健三郎『ヒロシマ・ノート』(岩波新書1965)
原民喜 1951 鉄道自殺
★堀田善衛『審判』(1963)
ポール・リボート
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P241 『戦争』の終り
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終戦
7500万人人口残る
3000千人死亡
1000千人軍人
自殺者527人
陸軍自殺394人
海軍自殺126人
ほか39人
看護婦3人
P245 秋田県花岡山 中国人強制連行
P247 2つの科学主義の流派
(1)占領軍政府
(2)日本共産党
P249 沖縄
柳宗悦 言葉
ダンテ 神曲 地元の言葉で著す
P250 ★大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書1970)
P255 安保闘争 560万人 1960
P263 ★日高六郎『1960年5月19日』(岩波新書1960)
P258 江藤淳(1933-1999)
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P265 振り返って
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P266 リリアン・マルマン
読了