藩政改革、山田方谷の生涯
生誕200年、郷土・岡山の儒学陽明学者の研究
田井章夫(たいあやお)(90歳 高梁方谷会理事)
備中松山藩城下町
岡山県北部
高梁市

「方谷園」

小学校通う 一礼
農業、製油業

老中・藩主 板倉勝清側近
幕末から明治

方谷園の掃除当番(小学校高学年)

石碑の字
岡山出身 元首相 犬養毅 揮毫

1975 高梁市立中井中学校校長定年退職後
1976 百回忌 「方谷先生百年祭」
借金100千両 利息9千両
倹約
大坂借金返済期限延期交渉
新しい産業 葉タバコ、茶、杉、ヒノキ、竹、漆
砂鉄、 鍬、鎌、鍋生産(他藩の指導者)
備中鍬有名
「財の中に屈するな、財の外にたて」
「かけて見よ 情けの露の一雫(ひとしずく) かかるは広き四方(よも)の民草」
農民が苦しむような改革策はとらなかった

河井継之助 
1867 大政奉還の上奏文 方谷が原文作成との地元での話





2005.05.05 木 1018