の時代(63年間)

964(   )    清少納言清原元輔(きよはらのもとすけ)の次女として生まれる
973(   )    紫式部が藤原為時の次女として生まれる。970年?978年?
974(   )    清少納言、父の清原元輔が周防守、清少納言も父とともに山口県に行く。
978(   )    978年 清少納言が父の清原元輔とともに京都に帰る。
981(   )    981年 清少納言が橘則光(たちばなののりみつ)と結婚する。
982(   )    982年 息子の橘規長(たちばなののりなが)が生まれる。
987(   )    道長、左大臣の源雅信の娘 倫子(りんし)と結婚する。
991(   )    991年 清少納言が橘則光との結婚生活に破れて離婚する。
993(   )    993年 清少納言一条天皇の中宮(天皇のきさき)の定子につかえる。
995(   )    中宮定子の父の藤原道隆が死ぬ。
995(   )    清少納言は父の後ろだてを失った中宮の定子をもり立てて、支える。
995(   )    道長、995年 都で伝染病が流行し、兄たちがあいつでなくなる。
995(   )    995年 右大臣になる。 藤原伊周を破る
996(   )    紫式部、父の藤原為時が越前守(福井県の国主)になっため、福井へ
996(   )    道長、藤原伊周にやぶれ、太宰府(だざいふ)に流される。
998(   )    紫式部が一人で福井県から京都に帰る。紫式部が藤原宣孝と結婚する。
999(   )    紫式部が娘の賢子(けんし)を出産する。夫の藤原宣孝との仲が悪くなる
1000(   )02.00  中宮定子(ていし)が皇后になるが、12月に亡くなる。
1000(   )    藤原道長の娘の彰子が一条天皇の中宮(ちゅうぐう 天皇の妻)になる。
1001(   )    清少納言が宮廷を退く。このころに「枕草子」がほぼ完成する。
1001(   )    1001年 夫の藤原宣孝(ふじわらののぶたか)が病死する。
1001(   )    紫式部、さびしさをまぎらわせるために紫式部が「源氏物語」を書き始める。
1001(   )    道長、紫式部を高く評価
1005(   )    紫式部が藤原道長の娘で一条天皇のきさきの彰子(しょうし)に仕える。
1008(   )    道長娘彰子が一条天皇の皇子 敦成親王(あつひらしんのう)を生む。
1010(   )    紫式部の書いた日記「紫式部日記」ができる このころ、「源氏物語」完成
1011(   )    1011年 父の藤原為時が越後守(えちごのかみ 新潟県の国主)になる。
1012(   )    藤原道長の娘のけん子が三条天皇の皇后(天皇の正式な妻)になる。
1013(   )    1013年 紫式部が宮仕え(みやづかえ)をやめる
1014(   )    1014年 この年の2月に紫式部、死去? 
1016(   )    敦成親王が後一条天皇になる。藤原道長が摂政になる。権力をにぎる。
1017(   )    「古事談」に清少納言が尼として生きていたという記録が残っている。
1017(   )    道長、摂政を藤原道長の長男の藤原頼通にゆずる。太政大臣になる。
1018(   )    藤原道長の娘の威子(いし)が後一条天皇の中身やになる。
1019(   )    1019年 藤原道長が出家する。
1019(寛仁03)     壱岐、刀伊(とい)が来寇し,国守藤原理忠(まさただ)は防戦して戦死
1027(   )    道長、1027年 病死する。(62才)