中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦

[読前読後]網野史学誕生秘話 今月は集英社新書の新刊が面白い。まず第一弾。中沢新一さんの『僕の叔父さん 網野善彦』*1(集英社新書)を読み終えた。網野さんは中沢新一さんの父の妹と結婚している。中沢さんから見れば義理の叔父さんにあたるわけだ。宗教学者の甥による歴史学者の叔父に対する長い追悼文として、本書は書かれた。 私はいちおう網野さんの同業者ということになっている。専攻も同じ時代だ。論文に網野さんの仕事を引用したことがないわけではないし、同業者の集まりでお見かけしたこともある。ただいわゆる「面識」はなかった。 謦咳に接したということであれば、一度だけ記憶している。仙台で暮らす大学院生だった頃、模試採点のアルバイトをしていたとある予備校*2が主催する講演会の講師がなぜか網野さんで、仲間と示し合わせて予備校生のなかにまじりお話を聴いたのである。 たしか、当時刊行され話題を呼んでいた『日本の歴史をよみなおす』(ちくまプリマーブックス、1991年)に関連したお話だったと思うが、中味はすっかり忘れている。鮮明に憶えているのは、講演終了後来場者に抽選でサイン入りの『日本の歴史をよみなおす』がプレゼントされる企画のこと。自分は外れたが、先輩一人が当たったことが羨ましかった。当時から署名本好きだったのだな。 すでに「網野史学」は、その何年も前から日本史の世界を飛び越えてジャーナリスティックな話題を呼んでいた。けれども私は天の邪鬼だから、そうしたもてはやされかたをしているというただそれだけ理由で、網野史学をはなから拒絶していた。しかしあるきっかけで一転、網野さんの著作を熱心に読む網野ファンになってしまったのだった。 そのきっかけとは、澁澤龍彦が「この一年の収穫」といったとある読書アンケートのなかで、網野さんの『異形の王権』をあげていたことだ*3。当時傾倒していた澁澤が勧めるのならと網野さんの本を読むことにした。学問的契機でない近づきかたなのが恥ずかしくもあり、また逆に変な言い方だが、誇らしくもある。一読とても面白かった。自分の研究に参考とすべき点は多々あった。ただ、自分にはこうした学問(発想)はとてもできないと観念した。ちなみに澁澤と網野さんは同じ1928年生まれである。 さて中沢さんの本は、網野さんが結婚の挨拶のため中沢家にやって来たところから語り出される。中沢さんは当時5歳。中沢さんはこの新しい「叔父さん」から面白い歴史の話を聞かされ、成長する。 網野さんの代表的著作である『蒙古襲来』『無縁・公界・楽』『異形の王権』3著が構想され誕生するまでを中心に組み立てられた評伝的回想である。自分の家である中沢家の系譜をさかのぼりながら、また、中沢家の人間(新一さんの父で民俗学者の厚氏やその弟で製鉄技術史の研究者だった護人氏)との間でたたかわされた議論や、網野さんと中沢さんの間でなされた対話のなかからヒントをつかみだし理論を構築していった様子などがビビッドに描かれる。 歴史学の立場からは、これらの著作に結実した「網野史学」は、結局中沢一族との対話のなかから生みだされたものなのかという意地の悪い反論も出てくるかもしれない。そんなことはどうでもいいが、中沢さんは終始網野さんを「さん」付けで呼んでいることに、彼の叔父さんに対するある種の敬意がにじみ出て和やかな気持ちになる。中沢さんの『悪党的思考』と網野さんの『異形の王権』があたかも二卵性双生児のようなかたちで二人の対論のなかから生みだされたあたりの叙述はなかなかスリリングである。 私の頭では、相変わらず中沢さんの言っていることをすんなり理解することは難しいけれど、論じられている対象が多少なりとも自分も咀嚼しているつもりのものなので、煙に巻かれずにすんだという印象だ。 中沢さんは本書を「将来網野さんの評伝などを書こうという人があらわれたとき、そういう人の役に立てるようにと心がけて書いた」(「あとがき」)という。網野さんとたたかわせた議論のくだりなどは、その場にテープレコーダーでも置いていたのではないかと思うほど詳しく、臨場感に満ちあふれている。本書を超えうる総合的な評伝が今後書かれる可能性はあるだろうが、本書を超えうるような、網野史学の内部に深く根をおろした洞察はちょっと出てこないかもしれない。ついでに香気高い文章も。 最後に、わたしたち後学の者が肝に銘じるべき一節。 歴史学とは、過去を研究することで、現代人である自分を拘束している見えない権力の働きから自由になるための確実な道を開いていくことであると、網野さんは信じていた。(70頁)