ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫1995 芸術作品のアウラ。それは芸術作品の<いま―ここ>的性質、その一回性のことである。したがってアウラは複製を受け付けない。複製は偽造品でしかない。しかし写真や映画などの複製技術が発達するに従って、芸術の持つ価値は変わってきた。それはアウラが消失したということである。芸術作品は複製可能になることによって、一回限り出現するものではなく、何度でも反復可能なものになる。反復不可能な一回性ではなく、反復可能な同一性。映画や写真において原版(オリジナル)がどれであるかという問いはほとんど無意味である。そこではオリジナルの持つアウラ(その一回性)が消失してしまっているからである。またこの変化を芸術作品の礼拝価値から展示価値への移行として見ることもできる。礼拝価値としての芸術作品は、見られることが重要なのではなく、存在することが重要であった。それに対して展示価値は、見られることを前提としている。芸術作品はそれ自体で価値を持つものではなく、その複製技術、器械装置を通して価値を持つものになる。またそれによって生じる写真や映画の逆説は、その芸術作品の価値あるいは現実の純粋な姿が、器械装置を徹底的に浸透させることによって可能になるということである。たとえば写真の技術が進歩することによって、現実のより純粋な姿が見えるかのように思われる。しかし自然に見えれば見えるほど、それは徹底的に人工的なのである。純粋な現実はもっとも人工的なものになる。人間も同じように器械装置のまえで自己疎外される。それを利用するのは映画資本であり、ファシズムである。