★アンリ・トロワイア『アレクサンドルⅠ世ーナポレオンを敗走させた男』
2005.03.07 P559 潰走するモスクワ遠征軍
         パリ入城
         ナポレオン廃位
         ルイ18世の王政復古
         神聖同盟提唱
         メッテルニヒとウィーン体制
         女帝エカテリーナの初孫
         ヴェルべデーレのアポロ
         小心
         父 パーヴェル1世暗殺を黙認
      P560 偽装された死
      
      P7 エカテリーナ2世(祖母)
        ムッシュー・アレクサンドル
        1777.12.12 誕生 初孫
        息子 大公パーヴェル=頑固 軍隊 神秘主義
      P8 気の利かぬ嫁
        ロック ルソーなど勉強する女帝
        大公妃(母)=嫁
        デルジャーヴィ二 宮廷詩人 
        冬宮教会で洗礼
        ソフィア・イワーノヴナ 家庭教師の長
      P9 スパルタ教育
        グリム = 何かあると常に グリムに手紙
      P11 ビザンツの覇権を狙う女帝
        (1)リボン飾ったボンネットのおばあちゃん
        (2)戦女神ベローネの兜
        (1)(2)両方の頭をした怪物
        1779.04.24 2人目の息子 コンスタンチン 誕生 弟
        聖ソフィア寺院
        計10人子供
      P12 おばあさまのABC
        ニコライ・イワノヴィチ・サルトゥイコフ将軍 愛人
        = 男性教師陣のトップ
      P13 音楽は好きになれない
         ルーニッチ回想録
         アンドレイ・サニボルスキー 宗教教育
         フレデリック=セザール・ラアルプ 若い 理想家
         影響力 スイス
         アンドレイ・ランスコーイ(寵臣)の勧めでラアルプ
      P16  ラアルプーフランス語教え最後は1日2回も
      P17 ランスコーイの突然の死 ジフテリア
      P18 エカテリーナ 立ち上がり 人間自覚
      P22 アレクサンドル 12歳
      P25 ヴォルテールの胸像を屋根裏へ
         ルイ16世処刑の報
         対仏国交断絶 戦争はしない ポーランド分割が先
         恐ろしい勢いで青年たちを食い散らすエカテリーナ
      P27 ポチョムキンは女帝を圧倒
         プラトン・ズーボフ 22歳 60歳 14歳
         ドイツ生まれの女帝
         バーデン公国姫君2人 姉13歳
         自然の造った最高傑作
      P31 祖母のわなを見抜くアレクサンドル
      P35 騒ぎが持ち上がるのを避けるアレクサンドル
         ルイーゼ両親承諾 1793.01
         エリザヴェータ=アレクセーヴナ名乗る
         妹 = フリデリーケ
         1793.09.15 トルコとの平和条約祝う祭典
         1793.09.28 結婚式
      P39 第二章 祖母、その息子、孫
        ツアールスコエ・セロー 冬宮 両方に 宮殿建築
        着飾り 遊び おしゃれ
        本 忘れる ラアルプ
        夫婦生活に破綻の兆し
        ズーボフが罠 アレクサンドル気づいてもいえない
        意地悪連中が意地悪機会まっている
         祖母も気づくが 人生学ぶよい機会と
         親友コチャベーイへ手紙 その地位放棄決意
         ポーランド貴族と友人に
         コチャーシコは英雄 
         エカテリーナ ラアルプ叱り 再教育させようとする
         ラアルプ 解任
      P51 父と祖母の間でバランスとる
        父、 ガッチナ宮殿 ドイツ風
        兵2400人落ちこぼれ 体力はアル 訓練連続
        プロシャ フリードリッヒⅡに私淑
        ツールスコエ・セローはフランス風 
        1762 陰謀で女帝 帝位に
           父の殺害 犯人を処刑せず
        アレクサンドル 矛盾のはけ口を ガッチナで
        右の耳 砲撃で聞こえなくなる
        アレクセイ・アクラチェーエワ 24歳 大尉 腹心の友となる
        マーリア コンスタンチンに嫁ぐ
      P55 フリーメイソン支部 = 革命の温床と エカテリーナ
2005.03.08 P 57 べズロボロートコ副宰相
         長男 廃位計画
         11/24 発表 聖エカテリーナの日
         ペルシャ遠征 バクーで包囲される失敗(プラトン・ズーボフ勧め)
         スウェーデン グスタフ4世とアレクサンドラ13歳の結婚 婚約話
         1797.09.16 婚約式 ペテルブルグ
2005.03.09 P 62 ドイツ精神がフランス精神を圧倒
         34年前の父の死亡に
      P 65 第3章 パーヴェルの治世
         エカテリーナの破壊
         ガッチナ延長
         下々の声 投票箱で図る が 悪態 風刺連続で やめ
         1797.01.13 フランス風禁止法律
      P 68 フランス革命亡霊恐れる
         朝6時から仕事強制
      P 70 ガッチナスタイル
      P 72 アレクサンドル 味方探し
         アラクチェーエフ = ガッチナの伍長
      P 76 アレクサンドルの不穏な動きを皇帝、知る
         革命 = 子供の火遊びから
      P 81 アレクサンドル、妻とブロヴィーナ伯爵夫人の間の微妙な関係、気づくが・・
      P 82 明かりを消すと彼女の頭髪が羽毛のように光って見える
         妻、アレクサンドルの親友アダム・チャトルィスキ(ポーランド貴族)
         をすぐかたわらに見出す
         見て見ぬ振りする夫
         パーヴェル(44)の新恋人(16)アンナ・ブロヒナー関係周知
2005.03.10 P 86 パーヴェル ボナパルトのマルタ島占拠に腹立てる
      P 92 大赦の実施 ズーボフ3兄弟
         影の指揮者 パーレル、脅されるアレクサンドル
2005.03.11 P 96 アラクチェーエフを呼び戻せ
      P 97 アレクサンドルの役目 = セミョーノフスキー連隊
         1801.03.10 演奏会 
      P 98 食事、妻、息子2人、パーレン、睨む皇帝
         翌日、19人食事、皇帝愛想がよい、クトゥーゾフ将軍
      P 99 カラムイク人
      P100 夜11:00 叛徒たち、タルィージン将軍の住まい集結50人
         プラトン・ズーボフ中心
         アラクチェーエフ逮捕、図書室へ、ズーボフ兄弟、ベニグセン
         ついたての下に素足が、皇帝だ
      P104 ベニグセン、パーヴェル死亡発見
         皇后、飛び込む、会わせて!        
      P105 逃げるアレクサンドル
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      P108 第4章 非公式委員会
         タレーラン 別の病名はロシアにないのか 卒中発作
         新皇帝の名を祝福
         4年間の悪夢
      P109 インド征服軍を呼び戻す
         母親ネック
         ロマノフの家系、裏切り、暴力
         ラアルプ、心を鬼にという
      
       P112 二キータ・パーニン・・・追放
         パーレン・・・・・・・・追放
         プラトン・ズーボフ・・・追放
         ほか、関係者 シベリア、コーカサスの国境警備へ
         ロシア正教の従順なる息子を演ずるアレクサンドル
      P114 ヴォルテール側とルソー側 どっちへも
         24歳の皇帝、マケドニア王に汚された名 回復だろう
         カラージンという若い役人の意見を聞く
         「非公式委員会」
         ストローガノフ
         チャルトルィスキ
         コチュベーイ
         ノボシーリツェフ
      P120 ラアルプ参加を希望、入れる、スイス総裁政府勤務中、が、気弱さと戦えと・
         皇帝らしく
      P123 いくつかの決定、1802.09.08 公立教育機関の設立、
         農奴改革、つぶれる
         夢、気ままな兵役(25年)
         勝手に結婚させる、売買
         管理は家令にまかせる
      P128 しりすぼみに
         2年半に36回の会合、自然解散へ
         移り気、好んで相手を変える、年の離れた妹エカテリーナとの関係
         読書家
         マリヤ・ナルィシキナ 身重に
         サルディニア王国
         ソフィアと命名
         妻は近衛士官アレクセイ・オホートニコフと関係
      P138 ドルゴルーキー補佐官、保守主義、
      
         ドルゴルーキー・・・ドストエフスキー『未成年』主人公アルカージーの
                   困った公爵の名、私は私生児
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      P139 第5章 銃火の洗礼
2005.03.15 P135 友好的雰囲気
         1807.07.07 友好平和条約 (7個の秘密条約)
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      P199 第7章 エルフルトの友情
         地に落ちた評判
         大公女エカテリーナを皇帝に
      P206 目立つ皇太后
         マリア・フョードロヴナ
      P208 コレンクール将軍 駐露フランス大使
      P211 貿易相手イギリスとの断絶、痛手 産業界
         モスクワとペテルブルグ
         モスクワ・・・アジア的過去
         ペテルブルグ・・・ヨーロッパ志向


2005.03.12 P139 グルジア王国を合併
      P142 1802.05.29 ドイツを訪問 王妃ルイーゼ26歳にほれる
         フリードリッヒ=ヴィルヘルム3世
      P143 最後の一線、越えない
      P144 メーメル
         チャルトルィスキ
         プロシャ、オーストリア均衡破る結果に
         ボナパルトの要求をオーストリア呑む
         アミアン条約(仏英)破棄、
         1804.03.21 バーデン大公国領内で拉致銃殺騒ぎ
         コルシカの怪物の犠牲になったんだ
      P147 早まってはだめ アレクサンドルの考え
      P148 抗議声明文 ボナパルトに送る
         ボナパルト、タレーランに命じ、返書
         父の死から3年、3重のあてこすり 暗殺 後ろに英 不透明な事後処理
         フランス大使 ぺテルブルグを離れる命令
         1804.05.18 ナポレオン、皇帝に就任
         英国に期待するアレクサンドル
         ウィリアム・ビット
      P151 セント・ジョーンズの内閣
      P152 ヨーロッパ連盟構想 理想的過ぎる
         フランスは英ブーローニュ上陸作戦しているときにこんな悠長な
      P156 フランス、南独侵入
         ポーランドを裏切る結果に(チャルトルィスキ落胆)
         プロシャと組む
      P157 フリ−ドリッヒ大王の墳墓を訪れる
         ロシア、下級 副官 皇帝 呼吸全く合わない
         クトゥーゾフ将軍、アレクサンドルいさめるもきかず
         指揮を執るという
         オーストリア将軍 ワイローテルが取り入る
         1804.11.25 ナポレオン 敵陣視察 うその和平案もって
         がたがたのロシア現状しる
 2005.03.14 P   対仏戦争、勝利、吐き気、夕食とらず
      P161 1805.11.28 ヴィジャウの戦い
      P162 ピョートル・ドルゴルーキー ナポレオン対談 帰る
         ワイローテル、クトゥーゾフ
      P163 プラーツェン高地
      P167 フランツ皇帝 オーストリア
      P168 25千人の兵を失う
         アウステルリッツの敗戦
      P169 憎らしいオーストリア軍の責任だ
      P170 エルミタージュの劇場
         クトゥーゾフ キーエフ総督に
         ランジュロン退役へ
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      P173 第6章 ティルジット
         パーヴェル・ストロガーノフを英へ
         ピット後任フォックスへ送る
      P174 ナポレオン ライン連盟結成宣言
         神聖ローマ帝国完全崩壊
         ドウヴリルをそのフランスへ派遣
         ナポリ王国 見放しが大失策
      P176 アレクサンドル、批准せず
         フランスとの和平が遠のく
         チャルトルィスキやめたい 外務大臣
         ヴードベルグ男爵が後任(バルト地方)
         母、怒る
         しかし、ルイーぜの関係からプロシャ保護は譲れない
      P177 プロシャと秘密条約
         1806.07. フリードッヒ=ウィルヘルム3世は実はすでに仏と密約
         ナポレオンに2度目の決戦挑む
         フランス、プロシャへ攻撃
         1806.10
         10.27 ベルリン新入 フリードリッヒ 東部プロシャへ逃げる
         ロシア兵力 612千人 ミサ ナポレオンのろう
      P180 民衆は知ったことではない
         総司令官にミハイル・カーメンスキー老元帥69歳選ぶ
         辞退したい、不可
         年寄りだ、目が見えぬ、返してくれ
      P181 ベニグセンはフランスに戦い挑む
         ベニグセン 総司令官へ
         1807.06.14 フリードランド会戦開始 大敗
      P185 英 戦意喪失、援軍(15千)送らず
         06.22 休戦条約交渉
      P186 ティルジット
      P187 劇的演出好きなナポレオン
2005.03.16 P216 チェレミス人
         チュヴァシエ人
         1807.01 保安委員会
         ブードベルク将軍(外務大臣)解雇
         ニコライ・ルミャーンツェフ公 後任
         文学美術愛好家 フランス派
         チャトルィスキ、コチュベーイ 解任
         1808.01.13 軍務大臣 アラクチェーエフ就任 考えられぬ人事
         1808.01 フィンランド侵攻
         1808.09 エルフルトで会談 2度目
         皇太后も大反対 しかし ぺテルブルグをたつアレクサンドル
         途中、ケーニスブルク
         プロシャ王、王妃ルイーゼいる素通りできない
      P221 イエナの敗戦場 ナポレオンと見る
         「そこのバイエルン国王、おだまり」
         ゲーテも呼びつけられレジオン・ドヌール勲章かけさせられる
      P222 最後に笑う、よく笑う
      P224 プロシャから撤退したらどうか・・・アレクサンドル席を立とうとする
                       ・・・今度はナポレオン席を・・・
      P225 ジョセフィーヌへしょっちゅう手紙
         ナポレオン、大公女エカテリーナとの結婚話
           ”      その妹アンナとの結婚話
         時期が来たら結婚あると返事=侮辱ととる
      P231 ナポレオン微妙、ローマ教皇調との確執、スペインでの不名誉な・・
2005.03.17 P236 ミハイル・スペランスキー 英国好き
      P237 神秘思想に共鳴
         フリーメーソン
         社会的キリスト教主義
         人々の注目を集める
      P239 重要 人権の定義
         1810.01スペランスキー「国務卿」に
         週に1回定例会議
         側近反発「秩序破壊」でそちらになびくアレクサンドル
         歴史家カラムジンも反論
      P242 1000年前からロシアは帝国偉大な帝国だった
         スペランスキーのライバルにアラクチェーエフ
         将軍浮上
      P245 フランスに情報網を、とスペランスキーに任命
         クラーキン大使、外務大臣=仏贔屓
         だめ
         若い伯爵カール・ネッセルローゼ
      P248 スペランスキー失墜
2005.03.18 P252 第8章 祖国解放戦争
      P256 気になるオーストリアの動向
      P258 対英外交 ストックホルム条約
         不屈の精神 
         仏は耐乏対策、悪天候には勝てないだろう
         地の果てまで逃げる用意がある
         1812.04.09 リトワニア首都ヴェルナへ
      P261 参謀総長ヴォルコンスキー公
         ポーランド人 人心収攬工作
      P268 仏独ほか連合400000 対 ロシア250000 しかも分断       
2005.03.19 P269 大公女エカテリーナの忠告
         国務大臣シシコーフ
         開戦宣言文
         1812.07.12 9:00 熱狂的国民
         主教の熱烈演説 説教
      P271 ペテルブルグ カーメンヌィ島に落ち着く
      P272 ヴィトゲンシュタイン将軍の手柄
         スタール夫人 パリからの亡命
         ロシア退却退却
         最高司令官バルクライ・ド・トーリー
         ライバル バクラチオーン
         スモーレンスク攻略されることはなかった
         トーリーを犠牲に
         後任人事 クトゥーゾフ人気
         トルコとの和平を結んだ男
         アレクサンドルは嫌う
         8月、最高司令官へ
         ロシア人はペテルブルグにあっては、宮廷人、軍人みなタタール人に戻る
         クトゥーゾフ 67歳 太鼓腹
      P277 モルダヴィアの百姓女を恋人に
      P278 女帝エカテリーナに仕えた由緒ある軍人
         ナポレオン13万人、ロシア12万人、しかし・・・・
         モスクワ河支流コローチャ河岸辺=戦場
         1812.07.26 火蓋
         バグラチオーン重傷
         ボロディノ会戦
         両軍勝利宣言
         クトゥーゾフ「聖なる都」明け渡し覚悟
      P281 モスクワ総督ロストプーチン
         我勝ちに逃げる市民 55万人→1万千人に
      P288 モスクワの主となったナポレオン
         受け入れてくれそうな遠い縁者
         ネヴァ河、その運河には船の行列
         ジョセフ・ド・メーストル 作者
         誰が火をつけたかモスクワに
         ナポレオン「ロストプーチンだ」
         群集、宮殿、狼藉
      P291 かの野蛮人の一団
      P292 青年官吏ツルネーゲフ「モスクワは灰燼の中から甦ろう」
         ナポレオンをどんな拷問にかけるかのアイデアを競うゲームに興じる
         とどまるところを知らない歓待の掟、ロシア人の性
         アルハーロフ家=「モスクワの不幸が集中する家」
         和平は絶対にお断り
         ゲリラに悩むナポレオン
      P294 投票用紙なき人民投票
         ロシア皇帝→ロシア人民皇帝
         クトゥーゾフ タルートフ
         ペテルブルグ攻撃はあるのか、撤退するのか
         9/8ナポレオン親書
      P295 ナポレオンの弱腰読める
         ヴィトゲンシュタイン後任へ
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      P310 第9章 フランス遠征
         1813.04.24 ドレスデン入城(ザクセン首都)
2005.03.21 P   ザクセン王、ボヘミアへ退去
         フランス、マレの陰謀事件
      P311 フランス、反撃
         タタール人ども
         ナポレオン、ドレスデン入城
      P316 モロー将軍、ジョミー二将軍
         オーストリア、同盟参加 対仏戦線
         同盟側、500千人
      P317 モロー両足切断
      P321 バイエルン国王、同盟側へ
      P322 ライバル、メッテルニヒ
2005.03.22 P326 ラアルプとの再開
         第二のヴァルミーの戦いを避けたいとする意見が強い
      P330 アレクサンドル、初志貫徹のつよい意思
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      P340 第10章 パリのロシア人
      P341 ツァーリの「赤いコサック」
         1814.03.31 
         エクリプス 名馬 ナポレオンからの進呈
         タレーラン公の館に投宿(結局)
      P345 オペラ座でルーの即興の歌
      P354 エルバ島隠棲許す、メッテルニヒ、アレクサンドルの唯一の罪
         コサック兵の野営、シャン=ゼリゼーの木陰
         兵と士官 扱いに差
         個人の家に投宿、友情と恋心
         下級 パレ・ロワイヤル、商売女の町
         ツルゲーネフ=フォン・シュタイン男爵の秘書官
         「フリーメーソンの思想を称揚
      P360 ルイ18世の首都帰還問題
         FM ロンドン 尊大な態度
         1814.05.03 ルイ18世 パリ 入城
         オステン=ザッケン司令官
         人気アレクサンドルの足元のも及ばないルイ18世
      P364 マルメゾン = ジョセフィーヌ住まいに何度もアレクサンドル
         オルタンス(ジョセフィーヌの娘)にも御執心
         1814.05.29 ジョセフィーヌ死亡
         チュイルリー宮殿
         スタール夫人とのやりとり
         目立たぬプロシャ国王
      P367 1814.05.30 条約成立
         1792以降フランスが手に入れた占領地を返還
         敗戦国の奪われた貴重な作品=セーヌ川ほとりがにつかわしい
         (アレクサンドル)
         領土も要求しない
         しかし ポーランドには野心
         コシチューシコ
         1814.06.03 パリ発ロンドンへ
         妹エカテリーナ ロンドン
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      P375 第11章 ウィーン会議
         英政府も好意とは限らぬ(民衆には人気でも)
         妹エカテリーナ ホイッグ党接近
         宿、英推薦のセント・ジョーンズ宮殿にはいらないほうがと妹
         妹のプルトニー・ハウス住まい
         クーイカー教徒と
         話
         政治は巷で作るのではなく、宮廷でできる
         コサック将軍プラートフ人気
         ギルドハウス大宴会 700人
         1814.06.26 バーデン公国へ
         行事、レセプションはやめろ
         1814.07.13 カザン寺院礼拝
         アクラチェーエフ呼び寄せ
         国務大臣オレーニン
         1814.09.01 ウィーン会議
         ポーランドはロシアであってロシアでない
         1815.01.03 秘密協約
         フランス、オーストリア、イギリスはロシア、プロシャに対抗する
      P388 タレーラン「対仏大同盟解除」
      P389 リーニョ公「会議は踊る、されど進まず」
         スパイ スパイ スパイ
      P391 ウィーンのキラ星コレクション
         会議全体に恋の嵐
         チャルトルィスキと皇后エリザヴェータの関係 仲
      P397 ナポレオンの動静
2005.04.19 P396 スタール夫人
          1814.10.18 ライプツィヒの戦い
          タレーラン「ナポレオンはアゾレス諸島に流すべき」
          ブルボン家に対するアレクサンドルの遺恨ぶりかえす
          その反動でナポレオンに好意的
       P399 メッテルニヒ、オーストリア宰相
       P400 ブルボン王朝
           ナポレオン脱出 どこに現れるか
           ジュワン港に上陸
           ルイ18世ガンへ脱出
           1815.03.20 チュリルソー宮殿入り
           1815.01.03付け秘密文書発見のナポレオン
           アレクサンドルに暴露
           (ウィーン在)
       P401 オルタンス 前オランダ王妃からの書簡
           ナポレオン 利用
           1815.03.25 8カ国反ナポレオン同盟調印
           ロシア ポーランド
           800千軍隊 ワルシャワ公国
           1815.06.09 最終議定書
       P404 予言能力 クリュデネル夫人
       P406 アレクサンドル とりこに
       P407 ラアルプは反対の書簡 無視
       P408 「イエスの思 御霊の力」
           対ナポレオン戦 ウェリントン
           1815.06.22 ワーテルローの戦い 大勝利
       P410 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
           第12章 神聖同盟
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           1815.07.15 ナポレオン 「ベレロフォン号」
       P422 フランス1790当時の国境線確保 しかし7億フランの賠償金
       P423 タレーラン ルイ18世が更迭
       P427 ポーランド チャトルウィスキの排除
          クリュデネル夫人との決別
          神秘主義は持続
     P432・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          第13章 神秘主義
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          ボロディノ会戦記念式典をしない
       P435 スコプツィ=去勢された者
       P438 神秘主義とアラクチェーエフ
2005.04.20 P448 革命家たちがロシアの崩壊を狙っている
         ロシアへの影響
      P450 ペテルブルグ
         トランプと観劇
         ジェコーフスキー
         (ロシアロマン主義の代表的作家)
         アレキサンドル・プーシキン 現れる
      P451 カラムジーン(ロシア国家史)
         グリンカ(詩人)
         クルィローフ(寓話詩人)
         グリボエーロフ
      P454 文学・教育に監視の目
         だれもいなくなった大学
         自由主義的思想を夢想するだけで償いを感ずる皇帝
         フォーチュー神父と会見するアレクサンドル
         奇蹟を行う者との評判
         ラヴジーン免職
         反政府 百科全書派
         ヴォルテール ミラボー
      P474 イタリア スペイン 悪のしょうけつを極
         1813-1820 私が変わった
      P478 フランス新大使 シャトーブリアン
      P490 フリーメイソン等会場解散
         1822
         
         独裁者の下で忍従する祖国
         代表 ぺステリ
      P491 ジャーナリスト ツルネーゲフ
         ぺステリ不満
         ぺステリ中心に南方結社(ほかに北方結社)
         過激製
      P493 首都にのぼせやすい人間的理想に燃えた青年時代
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      第15章 タガンローグ
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      P496 肉欲に流されぬ
         1824.06.23 ソフィア・ナルィシキーナの死
2005.04.21 P504 47歳 アレクサンドル 宮殿に籠もり陰気生活
      P505 皇帝の政治、老若男女 断罪
         皇后 健康優れぬ
      P506 ポーランド軍 総司令官 コンスタンチン
      P508 医師 タラーソフ
         タガンローグ 妻の保養地
         英人 シャーウッド アラクの紹介状
      P512 「具合はどう?何か必要なものは?」
         蜜月
         タガンローグ
         全権 オレイル将軍に委譲
         父パーヴェルの最後に似る
      P517 めまい 食事とらず
      P518 はきけ 高熱 ガチガチ
         胆汁胃性熱?
      P519 気を失う
         1825.11.28 脳充血
         11.19 死亡 47歳 11ヶ月で
      P529 デカブリストの乱
         大貴族が貧乏人になりたがった乱
      P532 皇帝 ニコライ
         皇太后生存?!
         「小説は終り、歴史が始まった」
         死者、醜く歪んだ顔
      P534 皇后も死
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      エピローグ
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         ヒョードロ・クジミーチ 皇帝そっくり
      P538 ニコライ2世 1891 日本訪問後帰りに参詣 クジミーチ 墓
      P539 生存説
      P574 読了